2008年7月15日火曜日

年間 第15週 主日


年間 第15週 主日(7月13日)

福音朗読(マタイ13・1-23、または13一1-9)

イエスは種まきのたとえを用いて、あきらめることなく、豊かな収穫を信じて宣教に従事するようにと教え、弟子を励ます。このたとえを受け継いだ教会は、たゆまず宣教するイエスの姿から自分たちのあり方を反省し、受けた御言葉を生かす道を教えられる。

マタイによる福音

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていな人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの予言は、彼らによって実現した。

『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、

耳は遠くなり、

目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、

心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いていから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
だから、種蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人岬訪鳩。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが・自分には根がな}ので、しばらくは続いても、御言葉のために戴難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔か批仕ものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を灘いふさいで・実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》

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