2008年6月24日火曜日

年間 第12週 火曜日(624日)

福音朗読(マタイ7・6,12-14)

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」なんと惨めでしょう。逆に、白分にして欲しいことを人にしてもらいたいのです。これから抜け出させてください。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と予言者である。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

2008年6月23日月曜日

年間 第12週 月曜日

年間 第12週 月曜日(623日)

福音朗読(マタイ7・1-5)

「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」まさにそうです。他の人の欠点や過ちには敏感でいちいち言い募りま

す。しかし、自分に非があるとは思わないのです。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするたである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ、自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください」と、どうして言えようか。白分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことが出来る。』

2008年6月22日日曜日

年間 第12週 主日


年間 第12週 主日(622日)曇り雨

福音朗読(マタイ10・26-33)

人々を恐れることなく、信仰を告自する。人は体を殺すことはできても、魂を殺すことはできない。恐れなければならないのは魂も体も滅ぼすことのできる方であり、この方は一羽の雀にも一本の髪の毛にも目を向けている。だから、恐れずに、信仰を告自すべきである。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らない生言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

2008年6月20日金曜日

年間 第11週 金曜日

年間 第11週 金曜日(620) 曇り

福音朗読(マタイ6・19-23)

私たちの宝はどこにあるのだろう。地上の宝に囲まれていないだろうか。その安全にのみ心を砕いていないだろうか。天に宝を積んでいるだろうか竈地上の宝に比べたら、ごく僅かなものではなかろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出こともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、での暗さはどれほどであろう。」

2008年6月19日木曜日

年間 第11週 木曜日

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年間 第11週 木曜日(619) 曇り

福音朗読(マタイ6・7-15)

「天におられる神を父と呼ぶことができることを喜ぶと同時に、神に対して自分が神の子であることを表明しなければならない。」「神を父に持つことが私たちの誇りであるなら、主にとって私たちを子供として持つことが大きな喜びであるようでなければならない」(キプリアヌス)。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように、

天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

わたしたちの負い目を赦してください、

わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

わたしたちを誘惑に遭わせず、

悪い者から救ってください。」

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

2008年6月18日水曜日

年間 第11週 水曜日

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年間 第11週 水曜日(619日)曇り梅雨の中休み今日まで

福音朗読(マタイ6・1-6,16-18)

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」だが、善業が人に認められないと悲しくなる。不平を一冒い出す。神のもとでの誉れよりも、人々からの誉れを求める私たちがいる。

マタイによる福昔

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、白分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

2008年6月17日火曜日

年間 第11週 火曜日

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年間 第11週 火曜日(6月17日)

福音朗読(マタイ5・43-48)

天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。父の慈しみを受けて、私たちは、この天の父の子供とされた。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈ろう。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、白分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。白分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

2008年6月16日月曜日

年間 第11週 月曜日

年間 第11週 月曜日 6月15日(曇り)

福音朗読(マタイ5・3842

主よ、難しいことです。右の頬を打たれたのなら左の頬を差し出すのは。編されているのかもしれないと思いながらも、求める人に与え、借りようとする人に貸すことは。だが、主が私たちにしてくださったのは、これなのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

2008年6月15日日曜日

年間 第11週 主日

年間 第11週 主日(615日)

福音朗読(マタイ9・36-10・8)

イエスは群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、十二人を呼び寄せ、世の救いのために彼らを派遺する。彼らが派遣されたのは、仕えられるためではなく、働き手として働くためである。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは、〕群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近、づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

2008年6月14日土曜日

年間 第10週 土曜日

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年間 第10週 土曜日(614日)

福音朗読(マタイ5・33-37)

「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」「そうはいうけれど」「だって」「でも」…-私たちの言葉にはなんと言い訳が多いことか。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

2008年6月13日金曜日

年間 第10週 金曜日

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年間 第10週 金曜日(613日)

福音朗読(マタイ5・27-32)

律法、捷を外面的に遵守するだけでは足りないことは分かります。罪は思い、望みから生まれることも分かります。それにしても、何度、目をえぐり出したらよいのでしょう。何度、右手を切り落としたらよいのでしょう。主よ、私たちを憐れんでください。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚で、ないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

2008年6月12日木曜日

年間 第10週 木曜日


年間 第10週 木曜日(雨)

福音朗読(マタイ5・20―26)

「祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのを思い出したなら、まず兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」ミサの中での平和の挨拶はこれを実践するためである。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だからあなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

2008年6月11日水曜日

年間 第10週 水曜日

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年間 第10週 水曜日(曇り)

福音朗読(マタイ5・17-19)

「伝承なしに刷新はなく、刷新なしに伝承はない」(コンガール一。旧約の伝承はイエスによって刷新され完成される。イエスによる伝承は聖霊の光の下に絶えず刷新される。私たちの生活は絶えず刷新されなければならない。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」

2008年6月10日火曜日

年間 第10週 火曜日

年間 第10週 火曜日(6月10日


福音朗読(マタイ5・13-16)

キリストの弟子は「地の塩」「世の光」である。キリストに従う者はイエス・キリストの福音の昧、光をもたらす存在。もしキリスト者が福音の昧を失っていれば、キリストの光に照らされていないなら、何の役にも立たない。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

2008年6月9日月曜日

年間 第10週 月曜日

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年間 第10週 月曜日(6月9日)

福音朗読(マルコー2・1-12)

このたとえ話を聞いた最高法院の議員たちは、小作人が自分たちのことであるとすぐに悟った。しかし、悔い改めることなく、イエスを捕らえようとした。
非を指摘されたとき、私たちは素直にそれを認め、悔い改めるだろうか。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスはたとえで祭司長、律法学者、長老たちに〕話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。」そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

2008年6月8日日曜日

年間 第10週 主日

年間 第10週 主日(6月9日)

福音朗読(マタイ9・9-13)

イエスが徴税人や罪人と一緒に食事をしたことがつまずきとなった人々がいる。彼らは自分たちは罪人ではないと思っていた人々である。しかし、イエスが来たのは「正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」である。

マタイによる福昔

〔そのとき、〕イエスは、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、生け贄ではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

2008年6月7日土曜日

年間 第九週 土曜日


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年間 第九週 土曜日(6月7日)

福音朗読(マルコ12・38-44)

私たちは「有り余る中から」わずかなものを、それも物惜しみしながら提出する。明日必要になるかもしれない。これは大切なもの、と言って手を付けずにいるものが死蔵されている。私たちは、あのやもめのようにはなれないのだろうか。

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスは教えの中でこう言われた。
「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イェスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

2008年6月6日金曜日

年間 第9週 金曜日

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年間 第9週 金曜日(6月6日)

福音朗読(マルコ12・35―37)

メシアはダビデの主であり、神の子でもある。イエスはダビデのような地上の栄誉と支配に彩られたメシアではない。イエスの道は、この世の栄光ではなく、十字架に続く。

マルコによる福音

イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。
『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときま工と。』
このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。

2008年6月5日木曜日

年間 第九週 木曜日

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年間 第九週 木曜日(65日)

福音朗読(マルコ12・28b―34)

神への愛と隣人への愛。イエスの行動はすべてここから出てくる。イエスの神への愛と人間への愛によること。イエスは私たちの隣人となってくださった。隣人への愛、それは友のために命を投げ出す愛である。

マルコによる福音

〔そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。〕「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の捷は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精補を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を白分のように愛しなさい。」

この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物や生け贄よりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

2008年6月4日水曜日

年間 第9週 水曜日

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年間 第9週 水曜日(64日)

福音朗読(マルコ12・18-27)

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」神は力強い創造の神、命を愛される神。「神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった」(知恵1・13-14)。

マルコによる福音

〔そのとき、〕復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセに言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

2008年6月3日火曜日

年間 第9週 火曜日

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年間 第9週 火曜日(63日)

福音朗読(マルコ12・13-17)

人々は、言葉じりをとらえて陥れようとするが、イエスはやすやすとそれを退ける。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に。」社会正義に基づく国家の要求には従わなければならない。だが皇帝、国家を神格化してはならない。

マルコによる福音

〔そのとき、〕人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「な

ぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

2008年6月2日月曜日

年間 第九週 月曜日

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年間 第九週 月曜日(62日)

福音朗読(マルコー2・1-12)

このたとえ話を聞いた最高法院の議員たちは、小作人が白分たちのことであるとすぐに悟った。しかし、悔い改めることなく、イエスを捕らえようとした。
非を指摘されたとき、私たちは素直にそれを認め、悔い改めるだろうか。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスはたとえで祭司長、律法学者、長老たちに〕話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

2008年6月1日日曜日

年間 第9週 主日

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年間 第9週 主日(61日)快晴

福音朗読(マタイ7一21-27)

無償で義とされた者は天の父の御心を行う者となる。神の言葉を聞いて行うとき、岩の上に家を建てた賢い人のように、裁きの日に倒されることがない。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしに向かって、『主よ、主よ』と一言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名あくれいによって理言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか」と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者

は皆、岩の上に白分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。