2008年7月25日金曜日

年間 第17週 土曜日


年間 第17週 土曜日(7月26日)

福音朗読(マタイー4・1―12)

主の道を整えるために遣わされた洗礼者ヨハネは、不当にもヘロデ・アンティパスによって処刑される。ここに予言者の運命が示されている。故郷で受け入れられなかった予言者イエスの死が予示されている。

マタイによる福音

そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」実はヘロデは、白分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

年間 第17週 金曜日


年間 第17週 金曜日(7月25日)

福音朗読(マタイー3・54-58)

イエスは何者なのか。イエスの郷里ナザレの人々にとっては、ただの大エヨセフの息子にすぎない。彼らにはイエスが理解できない。だが、イエスを「神の子」と受け入れている私たちはどこまでイエスを理解しているのだろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは〕故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「理言者が敬われないのは、その故郷、家族の問だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

年間 第17週 木曜日


年間 第17週 木曜日(7月24日)

福音朗読(マタイー3・47-53)

主は裁きを遅らせておられるのではない。一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと忍耐しておられるのだ。そのとき、私たちが主の御心にそわない陶器、毒麦、悪いものでありませんように。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。〕

年間 第17週 水曜日


年間 第17週 水曜日(7月23日)

福音朗読(マタイー3・44―46)

主イエス・キリストは、そして主の福音は、私たちにとって「畑に隠された宝」、コ日同価な真珠」。持ち物をすっかり売り払って、それを買う。ということは、もう元の生活には戻れないということ。新しい生き方が始まるのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」

年間 第17週 火曜日


年間 第17週 火曜日(7月22日)

福音朗読(マタイー3・36-43)

私たちは良い種として蒔かれたはずだ。御国の子らとなるべく蒔かれた。太陽の光を浴び、天からの水を注がれている。だが、いつの間にか毒麦になってはいないだろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

2008年7月21日月曜日


年間 第17週 月曜日(721)

福音朗読(マタイー3.31-35)

からし種のようでありパン種のように神の国の発端は小さく目立たない。だが、既にイエスによって福音の種が蒔かれたからには必ず大きな結末が約束されている。成長がおぼつかないと思われようとも失望してはならない。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して、〔人々〕に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、予言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いて、たとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

年間 第17週 主日


年間 第17週 主日(720日)

福音朗読(マタイ13・44-52、または13・44-46)

イエス・キリストが運んだ神の国の価値を知ったなら、他のいかなるものも色あせ、価値をなくしてゆく。すべてを売り払い、すべてから自由になり、どんな困難も省みず、それを手に入れようとする。本物の弟子であれば、主キリストのためにすべてを捨てる。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」《「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、白分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」》