2008年5月31日土曜日

聖母のご訪問の祝日

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福音朗読(ルカ1・39-56)

わたしの主のお母さまかわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう

ルカによる福音-そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家あいさつに入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

そこで、マリアは言った。

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも

目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人も

わたしを幸いな者と言うでしょう、

力ある方が、

わたしに偉大なことをなさいましたから。

みなその御名は尊く、

その憐れみは代々に限りなく、

主を畏れる者に及びます。

主はその腕で力を振るい、

思い上がる者を打ち散らし、

権力ある者をその座から引き降ろし、

身分の低い者を高く上げ、

飢えた人を良い物で満たし、

富める者を空腹のまま追い返されます。

その僕イスラエルを受け入れて、

憐れみをお忘れになりません、

わたしたちの先祖におっしゃったとおり、

アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

2008年5月30日金曜日

年間 第8週 金曜日

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年間 第8週 金曜日(530日) 雨

福音朗読(マルコー1・11-25)

空腹を覚えられたイエスは、葉の茂ったいちじくの木に近寄られた。しかし、一つも実をつけていなかった。今もイエスは飢えておられる、私たちの愛に。私たちの実りを期待しておられる。私たちは葉は茂らしているが、実を結ばないいちじくの木なのだろうか。

マルコによる福音

イエスは、〔群衆の歓呼の声とともに〕エルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアヘ出て行かれた。翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。そこで、ぺトロは思い出してイエスに言った。「先生御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

2008年5月29日木曜日

年間 第八週 木曜日

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年間 第八週 木曜日(529日)

福音朗読(マルコ10・46ー52)

「『安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。』盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。」主が私たちを呼んでくださったのだ。私たちも躍り上がってイエスのもとに駆け寄ろう。

マルコによる福音

イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。



2008年5月28日水曜日

年間 第8週 水曜日

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年間 第8週 水曜日(2008/05/28

福音朗読(マルコ10・32-45)

イエスは受難を覚悟して決然とエルサレムに上られる。しかし、弟子たちは地上の栄誉を夢見ている。イエスが彼らに約束するのは、彼らもイエスの杯を飲むこと、イエスと同じように苦しみを受けること。地上の栄誉ではなく、主と共に苦しむことを受け入れよう。

マルコによる福音

一行がエルサレムヘ上っていく途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。「今、わたしたちはエルサレムヘ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と一言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」生言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの問では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

2008年5月27日火曜日

年間 第8週 火曜日

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年間 第8週 火曜日(527日)

福音朗読(マルコ10・28―31)

この時のペトロの口調には、ご褒美をねだっているところが感じられる。イエスが約束する褒賞はこの世での迫害と、後の世での永遠の命。永遠の命は今から既に始まっている。それが百倍のものを与えてくれる。

マルコによる福音

〔そのとき、〕ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

2008年5月26日月曜日

年間 第八週 月曜日

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年間 第八週 月曜日(526日)

福音朗読(マルコ10・17―27)

その人はイエスの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。なんと正直なことか。私たちはイエスにつき従う。しかし、何も捨てずに。たくさんのものを抱え込んで。それどころかますます増やしながら。なんと惨めなことか。

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むこ

とになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人問にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」

2008年5月25日日曜日

年間 第8週 主日


年間 第8週 主日(525日)

福音朗読(マタイ5・38-48)

心からの同情を邪魔された人々はイエスの言葉を聞いてあざ笑う。しかし、イエスは子供のところに入り、「起きなさい」と語りかけると、子供はすぐに起き上がった。イエスは出来事となる一言葉を語る方。この方が私たちのために死ぬことによって、人間の枠を超える愛を知った。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒にニミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。甘分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

2008年5月24日土曜日

年間 第七週 土曜日

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年間 第七週 土曜日 (524日)

福音朗読(マルコ10・13-16)

神は知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになる。父親に全面的に信頼する子供一邪心のない子供。神に「アッバ」と呼びかける子供。「子供のように神の国を受け入れる人」でありたい。

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

2008年5月23日金曜日

復活節 第七週 金曜日


復活節 第七週 金曜日(523日)

福音朗読(ヨハネ21・15-19)

「主よ、あなたは何もかもご存じです。」私たちの弱さも。私たちの愛はもろく、私たちはあなたを裏切りました。でも、あなたは私たちを立ち直らせてくださいました。愛で包んでくださいました。私たちはその愛によって、あなたを愛します。

ヨハネによる福音

〔イエスは、弟子たちに御自身を現され、食事を共にされた。〕食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存知です」と言うと「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることをあなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。

このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

2008年5月22日木曜日

復活節 第七週 木曜日

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復活節 第七週 木曜日(5月21日)

福音朗読(ヨハネー7・20―26)

一つになること、完全に一つになること、これこそがイエスの願い。それは御父と御ひとり子の交わりにあずかることによって実現する。一致の霊である聖霊が私たちをこの交わりにあずからせ、私たちを一つにしてくださる。

ヨハネによる福音


〔そのとき、イエスは天を仰ぎ、祈って言われた。〕「彼らのためだけでなく彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしを遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてくださいそれは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

2008年5月21日水曜日

年間 第7週 水曜日

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年間 第7週 水曜日(5月21日)

福音朗読一マルコ9・38-40一

「わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」この狭い心から党派心が生まれる。大切なのは「私たちに従うこと」ではない。主に従うこと、愛すること。人を愛すること、善いことを行うこと。

マルコによる福音

〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」

2008年5月20日火曜日

年間 第七週 火曜日

年間 第七週 火曜日(520日)

福音朗読(マルコ9・30―37)

「すべての人の後になり、すべての人に仕える者になること。」頭では分かっている。そうしたいと願ってもいる。だが、現実には「いちばん先に」なろうとしている自分がいる。仕えてほしい自分がいる。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されてのち三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分からなかつたが、怖くて尋ねられなかった。一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、

「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イェスが座り、二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべてのあと人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」知恵を得る者は、誉れを受け継ぎ、行く先々で、主から祝福される。

2008年5月19日月曜日

年間 第7週月曜日 

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年間 第7月曜日 (5月19日)

福音朗読(マルコ9・1429

「『できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」「できれば」と言うのは、謙遜からだろうか。あのフエニキアの女はそうは言わなかった。あの切実さが

奇跡を引き寄せた。私たちに足りないのは何だろう。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスは三人の弟子とともに山を下りて、〕ほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなけれ

ばならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込み

ました。おできになるなら、わたしどもを隣れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親は、すぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

2008年5月18日日曜日

三位一体の主日(聖霊降臨後第一主日)

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三位一体の主日(聖霊降臨後第一主日)5月18日

福音朗読(マタイ28・16-20)

復活し、天と地の一切の権能を授かっているイエスが、世の終わりまでいつ共にいるという約束のもとに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と指示を与える。疑う者がいても、このように指示したのは、宣教という働きの中で、より完全な弟子へと変完られてゆくから。

マタイによる福音

〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あな。たがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」


2008年5月17日土曜日

年間 第6週 土曜日

年間 第6週 土曜日(5月17日)

福音朗読(マルコ9・2-13)

「これはわたしの愛する子。これに聞け。」はい、父よ、あなたの愛する御ひとり子に聞きます。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいるひとり子である神、この方が神を示された」(ヨハネ1・18)のだから。

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先牛わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」

2008年5月16日金曜日

間 第6金曜日

年間 第6金曜日 517

福音朗読(マルコ8・34-9)

私たちは白分の「プシュケー」、命、魂、自分自身を救おうとあがいている。そして、結局、それを失うことになるにもかかわらず。「白分を捨てる」、口にするのは易しいが、実践するのは難しいことだ。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスは〕群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、白分を捨て、白分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、白分の命を失ったら、何の得があろうか。白分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

2008年5月14日水曜日

年間 第6週 水曜日


年間 第6週 水曜日(5月14日)

福音朗読(マルコ8・22-26)

イエスは先に「耳が聞こえず舌の回らない人」をいやされた(マルコ7・31-37)が、ここで盲人をいやされる。イエスこそ心の闇を追い払ってくださる方。イエスに照らされて初めて私たちは光を見ることができる。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

2008年5月13日火曜日

年間 第6火曜日 5月13日


年間 第6火曜日 5月13日

福音朗読(マルコ8・14-21)

「まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。」主よ、私たちに悟らせてください、あなたの御心を。あなたの慈しみに信頼する心、ゆだねる心をお与えください。

マル.コによる福音

〔そのとき、〕弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からな

いのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、イエスは、「まだ悟らないのか」生言われた。

2008年5月12日月曜日

年間 第6週 月曜日(5月12日)

年間 第6週 月曜日(5月12日)

福音朗読(マルコ8・11-13)

「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」。これらのパン種とは何か。ここではイエスを救い主と認めない彼らのかたくなさであると言われる。私たちにもしるしを見なければ信じないかたくなさが残っているのではなかろうか。

マルコによる福音

〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

2008年5月11日日曜日

復活節 第七日曜日(聖霊降臨の主日)5月11日

復活節 第七日曜日(聖霊降臨の主日)5月11日

福音朗読A年(ヨハネ20・19i23)

ユダヤ人を恐れて閉じこもっていた弟子たちに復活したイエスが現れ、「平和があるように」と語り、息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と招く。この聖霊は人を赦すことを可能にする力であり、それを人々に示すために、弟子たちは外へと遣わされる。

ヨハネによる福音

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、白分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

2008年5月10日土曜日

復活節 第七土曜日 2008年5月10日 土曜日

復活節 第七土曜日 2008年5月10日 土曜日

福音朗読(ヨハネ21・20-25)

重要なのは「わたしに従いなさい」という主の招き。共に招かれた人と優劣を競ってはならない。与えられる賜物、恵みは異なっている。その賜物を生かし、共に主に従って行くことこそ大切なのだ。

ヨハネによる福音

〔そのとき、〕ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イェスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

2008年5月9日金曜日

復活節 第七金曜日(5月9日)

これらの写真はクリックすると拡大して見られます

復活節 第七金曜日(59日)
福音朗読(ヨハネ21・15-19)

「主よ、あなたは何もかもご存じです。」私たちの弱さも。私たちの愛はもろく、私たちはあなたを裏切りました。でも、あなたは私たちを立ち直らせてくださいました。愛で包んでくださいました。私たちはその愛によって、あなたを愛します。

ヨハネによる福音

〔イエスは、弟子たちに御自身を現され、食事を共にされた。〕食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存知です」と言うと「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることをあなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。

このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

2008年5月8日木曜日

復活節 第七週木曜日

復活節 第七週木曜日

福音朗読(ヨハネー7・20―26)

一つになること、完全に一つになること、これこそがイエスの願い。それは御父と御ひとり子の交わりにあずかることによって実現する。一致の霊である聖霊が私たちをこの交わりにあずからせ、私たちを一つにしてくださる。

ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは天を仰ぎ、祈って言われた。〕「彼らのためだけでなく彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしを遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてくださいそれは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

2008年5月7日水曜日

復活節 第七水曜日(5月7日)

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復活節 第七水曜日(5月7日)

福音朗読(ヨハネ 17・11b―19)

イェスと御父のように私たちも一つとなるソ」と、私たちのうちにイエスの喜びが満ち溢れること、これがイエスの願い。主は二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊してくださった。主キリストこそ私たちの平和。

ヨハネによる福音

そのとき、イエスは天を仰ぎ、祈って言われた。〕みな「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは白分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためで

す。」

2008年5月6日火曜日

復活節 第七火曜日(5月6日)


復活節 第七火曜日(56日)

福音朗読(ヨハネー7・1-11a)

イエスは与えられた使命を果たし、御父の栄光を明らかにする。神の子としてのイエスの栄光、それは信じる者に永遠の命を与えること。永遠の命、それは神とイエス・キリストを知ること。知ることとは、愛すること、交わりに入ること。

ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは〕天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。

世から選び出してわたしに与えてくださったみな人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。なぜなら“わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。

わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。」

2008年5月5日月曜日

復活節 第七月曜日

復活節 第七月曜日(5月5日)

福音朗読(ヨハネ16・29-33)

弟子たちはイエスが分かったという。だが、イエスの受難を通して神の国が到来することを理解するまでには至らない。イエスは、彼らがご自分を見捨てることを知っていても、平然としておられる。御父が共にいてくださると確信しておられるから。

ヨハネによる福音

〔そのとき、弟子たちはイエスに言った。〕「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

2008年5月4日日曜日

主の昇天(復活節第七日曜日)


主の昇天(復活節第七日曜日)

福音朗読

A年一マタイ28・16-20)

イエスはガリラヤの山で使徒たちの前に姿を現す。疑う者もいたが、「天と地の一切の権能を授かっている」イエスは彼らに使命を与え、すべての民を「弟子にし」、イエスの言葉に生きるように教えなさいと命じる。イエスは彼らに約束し、「いつも共にいる」と言われる。

マタイによる福音

〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

2008年5月3日土曜日

復活節第六土曜日(

復活節第六土曜日

福音朗読(ヨハネ16・23b28

「私たちの主イエス・キリストによって。」私たちはつねにキリストの名によって御父に祈っている。イエスが御父を知らせてくださったから。主イエス・キリストこそ「神と人との唯一の仲介者」なのだから。

ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御白身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

2008年5月2日金曜日

復活節第六金曜日

復活節第六金曜日

福音朗読一ヨハネ(16・20-23)

復活したイエスとの出会いから生ずる喜びを奪うことはできない。キリスト者は、この世の苦難のうちにあっても喜びを失うことはない。主が共におられるから。キリスト者は、その喜びを分かち合うために福音を告げ知らせる。

ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人問が世に生まれ出た喜びのためにもはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。」

2008年5月1日木曜日

復活節第六木曜日(2008年5月1日)

復活節第六木曜日(200851日)

福音朗読(ヨハネ16・16-20)

イエスの受難と死は信じる者たちから主を奪い去る。しかし、永遠に弟子たちから奪い去られるのではない。イエスは復活し、いつも弟子たちと共におられるようになる。弟子たちの悲しみは喜びに変えられる。

ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」