2008年7月25日金曜日

年間 第17週 土曜日


年間 第17週 土曜日(7月26日)

福音朗読(マタイー4・1―12)

主の道を整えるために遣わされた洗礼者ヨハネは、不当にもヘロデ・アンティパスによって処刑される。ここに予言者の運命が示されている。故郷で受け入れられなかった予言者イエスの死が予示されている。

マタイによる福音

そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」実はヘロデは、白分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

年間 第17週 金曜日


年間 第17週 金曜日(7月25日)

福音朗読(マタイー3・54-58)

イエスは何者なのか。イエスの郷里ナザレの人々にとっては、ただの大エヨセフの息子にすぎない。彼らにはイエスが理解できない。だが、イエスを「神の子」と受け入れている私たちはどこまでイエスを理解しているのだろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは〕故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「理言者が敬われないのは、その故郷、家族の問だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

年間 第17週 木曜日


年間 第17週 木曜日(7月24日)

福音朗読(マタイー3・47-53)

主は裁きを遅らせておられるのではない。一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと忍耐しておられるのだ。そのとき、私たちが主の御心にそわない陶器、毒麦、悪いものでありませんように。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。〕

年間 第17週 水曜日


年間 第17週 水曜日(7月23日)

福音朗読(マタイー3・44―46)

主イエス・キリストは、そして主の福音は、私たちにとって「畑に隠された宝」、コ日同価な真珠」。持ち物をすっかり売り払って、それを買う。ということは、もう元の生活には戻れないということ。新しい生き方が始まるのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」

年間 第17週 火曜日


年間 第17週 火曜日(7月22日)

福音朗読(マタイー3・36-43)

私たちは良い種として蒔かれたはずだ。御国の子らとなるべく蒔かれた。太陽の光を浴び、天からの水を注がれている。だが、いつの間にか毒麦になってはいないだろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

2008年7月21日月曜日


年間 第17週 月曜日(721)

福音朗読(マタイー3.31-35)

からし種のようでありパン種のように神の国の発端は小さく目立たない。だが、既にイエスによって福音の種が蒔かれたからには必ず大きな結末が約束されている。成長がおぼつかないと思われようとも失望してはならない。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して、〔人々〕に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、予言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いて、たとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

年間 第17週 主日


年間 第17週 主日(720日)

福音朗読(マタイ13・44-52、または13・44-46)

イエス・キリストが運んだ神の国の価値を知ったなら、他のいかなるものも色あせ、価値をなくしてゆく。すべてを売り払い、すべてから自由になり、どんな困難も省みず、それを手に入れようとする。本物の弟子であれば、主キリストのためにすべてを捨てる。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」《「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、白分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」》

年間 第16週 土曜日


年間 第16週 土曜日(719)

福音朗読(マタイー3・24-30)

毒麦の根は麦の根に絡みついており、毒麦だけを抜くことはできない。善悪入り乱れた人間の行為を判断するのは容易ではない。早急に判断してはならない。神の国は必ず到来するのだ。いかなる悪もそれを阻止することはできない。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている問に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』生言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

2008年7月18日金曜日

年間 第16週 金曜日


年間 第16週 金曜日(718)

福音朗読(マタイ13一18-23)

主よ、私たちは御言葉を受け入れました。いえ、受け入れたつもりです。御言葉を悟らせてください。根を下ろさせてください。世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいでしまうことがありませんように。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御風の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、白分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために銀難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

2008年7月17日木曜日

年間 第15週 木曜日


年間 第15週 木曜日(717日)

福音朗読(マタイ11・28-30)

私たちは十字架を負ってイエスに従う。私たちの十字架は重い。だが、主と共に歩むとき、私たちの重い十字架も軽くなる。主が私たちの十字架を担ってくださるから。主の軛を負い、主に学ぼう。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは言われた。〕「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2008年7月16日水曜日

年間 第15週 水曜日


年間 第15週 水曜日(716日)

福音朗読(マタイ11・25-27)

自分の知識を誇る律法の専門家、ファリサイ派の人々には神の国の秘義は隠されている。彼らはそれを目にしても耳にしても理解できないのだ。信仰は世間的な知識の多さにあるのではない。

マタイによる福音

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」

2008年7月15日火曜日

年間 第15週 火曜日


年間 第15週 火曜日(7月15日)

福音朗読(マタイ11・20-24)

イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められる。コラジン、ベトサイダ、カファルナウム。私たちも神の数々の恵みに浴しているはず。これらの町の叱陀は他人事だろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

年間 第15週 月曜日


年間 第15週 月曜日(714)

福音朗読(マタイ10・34-11・1)

イエスは不和、対立、分裂を望んでいるのではない。ここでの剣とは、イエスを受け入れるか否かという信仰の決断による分離である。平和の君が望むのは

一致であり、敵をも赦すこと。赦しこそが平和の礎。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。

人をその父に、

娘を母に、

嫁をしゅうとめに。

こうして、自分の家族の者が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。白分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。種言者を塑言者として受け入れる人は、種言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、ほうぼうそこを去り、方々の町で教え、宣教された。

年間 第15週 主日


年間 第15週 主日(7月13日)

福音朗読(マタイ13・1-23、または13一1-9)

イエスは種まきのたとえを用いて、あきらめることなく、豊かな収穫を信じて宣教に従事するようにと教え、弟子を励ます。このたとえを受け継いだ教会は、たゆまず宣教するイエスの姿から自分たちのあり方を反省し、受けた御言葉を生かす道を教えられる。

マタイによる福音

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていな人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの予言は、彼らによって実現した。

『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、

耳は遠くなり、

目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、

心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いていから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
だから、種蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人岬訪鳩。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが・自分には根がな}ので、しばらくは続いても、御言葉のために戴難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔か批仕ものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を灘いふさいで・実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》

年間 第14週 土曜日


年間 第14週 土曜日(7月12日)

福音朗読(マタイ10・24-33)

「弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。」とはいえ、これさえ犬変なことです。どうしてあなたのようになれましょう。そう私たちの力だけではどうしようもない。だが聖霊がおられる。聖霊の働きに信頼しよう。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

2008年7月11日金曜日

年間 第14週 金曜日


年間 第14週 金曜日(7月11日)

福音朗読(マタイ・16―23)

狸言葉を宣べ伝えることは安易なことではない。追害が付きまとう。しかし、つねに聖霊が導いてくださ。宣教は聖霊の御業なのだ。宣教の働き手は聖霊であって、私たちはそれに協力するにすぎないのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」

2008年7月10日木曜日

年間 第14週 木曜日


年間 第14週 木曜日(7月10日)

福音朗読(マタイー10・7―15)

かつてアシジのフランシスコはこの言葉を自分に直接語られた言葉として、文字どおりに実践し、貧しい者として生きた。私たちにとって、この言葉はどれほどの重みを持っているのだろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患

っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければあなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の挨を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

2008年7月9日水曜日

年間 第14週 水曜日


年間 第14週 水曜日(7月9日)

福音朗読(マタイ10・1-7)

十二人の弟子が選ばれ、汚れた霊に対する権能が授けられる。ここでのリストは二人ずつ組になっている。これは初代教会において、二人ずつ組になって宣教に送り出されたことを反映している。「人がひとりでいるのは艮くない」(創世記2・18)。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近、づいた』と宣べ伝えなさい。」

2008年7月8日火曜日

年間 第14週 火曜日


年間 第14週 火曜日(7月8日)

福音朗読(マタイ9・32-38)

主よ、今も、大勢の人が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれています。あなたの力を、あなたの言葉を求めています。御言葉を宣べ伝える者、あなたの力を証しする者を遣わしてください。

マタイによる福音

〔そのとき、〕悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御副の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

年間 第14週 月曜日


年間 第14週 月曜日(7月7日)

福音朗読(マタイ9・18―26)

イエスは死者を甦らせる力を持っておられる。イエスは命の道を示される。イエスは命の主。そのイエスが死に支配されることはありえない。この方が陰府に捨てておかれることはなく、神は復活させられる。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスが〕話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイェスをあざ笑った。群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。このうわさはその地方一帯に広まった。

2008年7月6日日曜日

年間 第14週 主日


年間 第14週 主日(76日)

福音朗読(マタイー1・25-30)

ここでの「軛」は、生きるようにと神が与える指示に対してひれ伏して教えを請う態度を指す。ファリサイ派の人々は背負いきれない重荷を人の肩に乗せ、自分ではそれを動かそうとはしないが、イエスは共に軛を負う。だから、イエスの軛は負いやすく、軽い。

マタイによる福音

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2008年7月5日土曜日

年間 第13週 土曜日


年間 第13週 土曜日(7月5日)

福音朗読(マタイ9・14-17)

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」イエスという「新しいぶどう酒」を得たのだ。それを「目には目を、歯には歯を」という古い皮袋ではなく、「敵をも赦す」新しい皮袋に入れなければならない。

マタイによる福音

〔そのとき〕ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる問、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」

2008年7月4日金曜日

年間 第13週 金曜日

年間 第13週 金曜日(74)

福音朗読(マタイ9・9-13)

イエスは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来られた。徴税人マタイは「私に従いなさい」という呼びかけを受ける。白分は正しいと思っているとき、イエスの呼びかけは聞㌣」えない。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは〕通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、生け贄ではない」とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

2008年7月3日木曜日

年間 第13週 木曜日


年間 第13週 木曜日(7月3日)

福音朗読(マタイ9・1―8)

イエスは私たちの罪を赦す権威をもっておられる。イエスが私たちの罪を赦してくださるのは、私たちの罪をご自分が担うこと、十字架の上で自らを命を

さしだすことによる。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒漬している」と思う者がいた。イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。その人は起き上がり、家に帰って行った。群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。

2008年7月2日水曜日

年間 第13週 水曜日


年間 第13週 水曜日(7月2日)

福音朗読(マタイ8・28-34)

悪霊に取りつかれると凶暴になる。神との関わりも拒否するにいたる。この地上にある聞、私たちは悪霊の攻撃を免れることはない。しかし、洗礼において悪霊から解放され、生涯戦い抜くことを約束したのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に凶暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。

年間 第13週 火曜日


年間 第13週 火曜日(71)

福音朗読一マタイ8・23-27一

私たちの周りに、そして全世界において、激しい嵐が吹き荒れている。私たちはこの世の大海原で沈みそうになっている。叫ぼう。「主よ、助けてください。おぼれそうです。」主は必ず嵐を鎮めてくださる。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。〔すると、〕湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

年間 第13週 月曜日

年間 第13週 月曜日(630日)

福音朗読(マタイ8・18-22)

イエスに従うこと、それは人間社会で神聖なものとみなされている義務にまさること。イエスに従うことは、新しい生命を生きることであり、新しい価値観によって生きること。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。そのとき、ある律法学者が近づいて、

「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、白分たちの死者を葬らせなさい。」

年間 第13週 主日


年間 第13週 主日(6月28日)

福音朗読(マタイ10・37-42)

神はキリストを派遣し、キリストは弟子を派遣したのであるから、弟子を受け入れる者はキリストを受け入れ、さらに神を受け入れたのである。弟子とはキリストのために命を「失う」者のことだが、この弟子を受け入れる者も報いを「失う」ことなく、必ず受ける。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。白分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、塑言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。

年間 第12週 土曜日


年間 第12週 土曜日(628)

福音朗読(マタイ8・5-17)

ローマ帝国の軍隊の百人隊長。当然、ユダヤ人ではなかった。この異邦人の信仰に、イエスは応えて奇跡を行われる。私たちも一言おう。「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすればいやされます。」

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスがカファルナウに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」ζ言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひとことおっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、理言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

年間 第12週 金曜日


年間 第12週 金曜日(627日)

福音朗読(マタイ8・1-4)

古代イスラエルにおいて「重い皮膚病」と診断された人は、共同体から隔離された。イエスはご自分のほうから患者に近づき、触れ、いやされる。イエスの憐れみ、愛を阻止するものはない。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」

年間 第12週 木曜日


年間 第12週 木曜日(627日)

福音朗読(マタイ7・21―29)

キリストの名によって預一言し、悪霊を追い出し、奇跡を行ったとしても、御父の御心、すなわち、愛がなければ無に等しい。パウロも言う。「全財産を貧

しい人々のために使い尽くそうとも、愛がなければ何の益もない」(一コリントー3・3)。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって塑言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』

そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似

ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

年間 第12週 水曜日

年間 第12週 水曜日(625日)

福音朗読(マタイ7・15-20)

私たちは「もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木された」とパウロは言う(ローマ11・24)。真のオリーブの木、主キリストに結ばれていれば、私たちは艮い実を結ぶはずなのだ。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「偽予言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貧欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」