2008年7月21日月曜日

年間 第16週 土曜日


年間 第16週 土曜日(719)

福音朗読(マタイー3・24-30)

毒麦の根は麦の根に絡みついており、毒麦だけを抜くことはできない。善悪入り乱れた人間の行為を判断するのは容易ではない。早急に判断してはならない。神の国は必ず到来するのだ。いかなる悪もそれを阻止することはできない。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている問に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』生言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

2008年7月18日金曜日

年間 第16週 金曜日


年間 第16週 金曜日(718)

福音朗読(マタイ13一18-23)

主よ、私たちは御言葉を受け入れました。いえ、受け入れたつもりです。御言葉を悟らせてください。根を下ろさせてください。世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいでしまうことがありませんように。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御風の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、白分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために銀難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

2008年7月17日木曜日

年間 第15週 木曜日


年間 第15週 木曜日(717日)

福音朗読(マタイ11・28-30)

私たちは十字架を負ってイエスに従う。私たちの十字架は重い。だが、主と共に歩むとき、私たちの重い十字架も軽くなる。主が私たちの十字架を担ってくださるから。主の軛を負い、主に学ぼう。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは言われた。〕「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2008年7月16日水曜日

年間 第15週 水曜日


年間 第15週 水曜日(716日)

福音朗読(マタイ11・25-27)

自分の知識を誇る律法の専門家、ファリサイ派の人々には神の国の秘義は隠されている。彼らはそれを目にしても耳にしても理解できないのだ。信仰は世間的な知識の多さにあるのではない。

マタイによる福音

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」

2008年7月15日火曜日

年間 第15週 火曜日


年間 第15週 火曜日(7月15日)

福音朗読(マタイ11・20-24)

イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められる。コラジン、ベトサイダ、カファルナウム。私たちも神の数々の恵みに浴しているはず。これらの町の叱陀は他人事だろうか。

マタイによる福音

〔そのとき、〕イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

年間 第15週 月曜日


年間 第15週 月曜日(714)

福音朗読(マタイ10・34-11・1)

イエスは不和、対立、分裂を望んでいるのではない。ここでの剣とは、イエスを受け入れるか否かという信仰の決断による分離である。平和の君が望むのは

一致であり、敵をも赦すこと。赦しこそが平和の礎。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。

人をその父に、

娘を母に、

嫁をしゅうとめに。

こうして、自分の家族の者が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。白分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。種言者を塑言者として受け入れる人は、種言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、ほうぼうそこを去り、方々の町で教え、宣教された。

年間 第15週 主日


年間 第15週 主日(7月13日)

福音朗読(マタイ13・1-23、または13一1-9)

イエスは種まきのたとえを用いて、あきらめることなく、豊かな収穫を信じて宣教に従事するようにと教え、弟子を励ます。このたとえを受け継いだ教会は、たゆまず宣教するイエスの姿から自分たちのあり方を反省し、受けた御言葉を生かす道を教えられる。

マタイによる福音

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていな人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの予言は、彼らによって実現した。

『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、

耳は遠くなり、

目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、

心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いていから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
だから、種蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人岬訪鳩。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが・自分には根がな}ので、しばらくは続いても、御言葉のために戴難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔か批仕ものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を灘いふさいで・実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》