2008年5月22日木曜日

復活節 第七週 木曜日

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復活節 第七週 木曜日(5月21日)

福音朗読(ヨハネー7・20―26)

一つになること、完全に一つになること、これこそがイエスの願い。それは御父と御ひとり子の交わりにあずかることによって実現する。一致の霊である聖霊が私たちをこの交わりにあずからせ、私たちを一つにしてくださる。

ヨハネによる福音


〔そのとき、イエスは天を仰ぎ、祈って言われた。〕「彼らのためだけでなく彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしを遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてくださいそれは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

2008年5月21日水曜日

年間 第7週 水曜日

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年間 第7週 水曜日(5月21日)

福音朗読一マルコ9・38-40一

「わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」この狭い心から党派心が生まれる。大切なのは「私たちに従うこと」ではない。主に従うこと、愛すること。人を愛すること、善いことを行うこと。

マルコによる福音

〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」

2008年5月20日火曜日

年間 第七週 火曜日

年間 第七週 火曜日(5月20日)

福音朗読(マルコ9・30―37)

「すべての人の後になり、すべての人に仕える者になること。」頭では分かっている。そうしたいと願ってもいる。だが、現実には「いちばん先に」なろうとしている自分がいる。仕えてほしい自分がいる。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されてのち三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分からなかつたが、怖くて尋ねられなかった。一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、

「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イェスが座り、二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべてのあと人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」知恵を得る者は、誉れを受け継ぎ、行く先々で、主から祝福される。

2008年5月19日月曜日

年間 第7週月曜日 

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年間 第7月曜日 (5月19日)

福音朗読(マルコ9・14-29)

「『できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」「できれば」と言うのは、謙遜からだろうか。あのフエニキアの女はそうは言わなかった。あの切実さが

奇跡を引き寄せた。私たちに足りないのは何だろう。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスは三人の弟子とともに山を下りて、〕ほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなけれ

ばならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込み

ました。おできになるなら、わたしどもを隣れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親は、すぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

2008年5月18日日曜日

三位一体の主日(聖霊降臨後第一主日)

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三位一体の主日(聖霊降臨後第一主日)5月18日

福音朗読(マタイ28・16-20)

復活し、天と地の一切の権能を授かっているイエスが、世の終わりまでいつ共にいるという約束のもとに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と指示を与える。疑う者がいても、このように指示したのは、宣教という働きの中で、より完全な弟子へと変完られてゆくから。

マタイによる福音

〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あな。たがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」


2008年5月17日土曜日

年間 第6週 土曜日

年間 第6週 土曜日(5月17日)

福音朗読(マルコ9・2-13)

「これはわたしの愛する子。これに聞け。」はい、父よ、あなたの愛する御ひとり子に聞きます。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいるひとり子である神、この方が神を示された」(ヨハネ1・18)のだから。

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先牛わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」

2008年5月16日金曜日

間 第6金曜日

年間 第6金曜日 5月17日

福音朗読(マルコ8・34-9)

私たちは白分の「プシュケー」、命、魂、自分自身を救おうとあがいている。そして、結局、それを失うことになるにもかかわらず。「白分を捨てる」、口にするのは易しいが、実践するのは難しいことだ。

マルコによる福音

〔そのとき、イエスは〕群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、白分を捨て、白分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、白分の命を失ったら、何の得があろうか。白分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」